投稿者: kokoronohane
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トップ2名の関係が悪化したきっかけ【第1話】
これは会社内でよくあることでもあると思う。
兄・弟・姉──この3人で当時は会社をやっていた。
昔でいう、傲慢な殿様経営によくあるタイプだ。
私が入社したときには、違和感は感じなかった。
むしろ、仲のいい兄弟なんだなと思っていた。
親戚付き合いもそれなりに良好だった。
いつからだろう……
私が違和感として感じ始めたのは。
前任経理が退職してから、関係は急にぎこちなくなった。
いや、もともと悪かったものが表に出てきただけなのかもしれない。
姉だからだ。
姉はどうにかこうにか、兄弟の不仲を取り持ってきていたのだ。
姉だから、尽くしていた。
私は立場が違う。
尽くす理由が見当たらない。
そのことに気づくまで、少し時間がかかった。
そして前任経理が辞めたあと、
解決されずに積み残されていた問題が一気に噴き出し、
兄弟の不仲は加速していくことになる。 -

経理の視点で見えた異変【第4話】
私は、このことに気づいたのは本当に最近だ。
「何がパイプ役なの?」と思うかもしれない。
けれど、私の“立場”そのものがパイプ役だったのだ。
同じ空間にいても、言葉ひとつ交わさない。
人づてに伝えるだけで、話し合わなけあればならないことも、向き合って話し合おうとしない。
その結果、私は両方の意見の“吐き出し口”になった。
パイプ役を続けるうちに、心が壊れていった。
一人は不機嫌をまき散らし、まるで私が悪いことをしたかのように振る舞う。
もう一人は、相手の愚痴を延々と私にぶつける。
私はふと思った。
私は何を見せられて、何を聞かされているんだろう。
誰も前に進もうとしない。
解決しなければならないことは、何ひとつ解決しない。
その構造の中で、傷つくのはいつも私だけだった。
気づけば、私に残された場所は“吐きだまり”しかなかった。 -

経理の視点で見えた異変【第3話】
トップ2名が、互いにほとんど口をきかない——
その事実を知ったのは、入社して間もない頃だった。
気づけば私は、会社の諸連絡をつなぐ“パイプ役”になっていた。
一方に報告すれば「勝手にしろ」。
もう一方に伝えれば「なんでそんなことになるんだ」。
言葉の端々から、私を経由して伝わってくる嫌悪感。
まるで、2人の感情の矢が私に向かって飛んでくるようだった。
さらに、一方からは終わりの見えない愚痴を聞かされる日々。
ぶっきらぼうで、不機嫌をそのまま空気に流す人。
几帳面で、細かなところまで気づいてくれる人。
性格は真逆。
まさしく「一長一短」そのものだった。
足して二で割れば、ちょうどいいくらいなのに。
そんな2人の間に立つのが、私の役目になってしまったのだ。 -

会社の中で誰も触れなかった現実──同族企業の一員として
これまで見過ごされてきたものが、たくさんあった。 それを見ようともせず、自分本位で全てやってきたのだろう。
いつか必ず向き合わなければならなかったもの。 その代償は、あまりにも大きい。
理解しようともしない。 改善しようともしない。 昔の固い頭のままでがんじがらめ。
今の時代に合わせて改善するべきことを、 私はただ当たり前にやっただけだ。
それでも毎日は、常にしりぬぐいに追われているようだった。
よくここまで経営できていたものだと、 プロではない私でさえ思わずにはいられなかった。
私はやるしかなかった。 自分しかする人がいないからだ。
後になって、この見過ごされてきたことの代償が 自分に降りかかってくることも知らずに。
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甘やかされて育った人の特徴
主人の父親は、まさに「甘やかされて育った人」の典型だと思う。
昔は兄弟が多い時代で、彼はその中の末っ子。周りにはいつも女兄弟がいて、生活面も人間関係も、誰かが先回りしてサポートしてくれていた。
お金の面では自立していたかもしれない。
でも、人としての立ち振る舞いは、妻や姉妹がカバーしてきたのだろう。
悩む必要もなく、困れば誰かが助けてくれる環境だった。
そのまま大人になり、会社でも同じように振る舞う。
黙っていれば誰かが何とかしてくれる
自分の担当じゃないと言って逃げる
責任のある立場なのに他責思考
話し合いから逃げ、不機嫌をまき散らす
自分が苦労しなければそれでいい
そんな態度が積み重なり、弱い立場の人にしわ寄せが来る。
そしてその“弱い立場”が、いつも私だった。
私は会社でも家庭でも、主人も従業員も、そして主人の父親さえも守ってきた。
でも、ふと気づく。
私のことは、誰が守ってくれるのだろう。 -

経理の私が感じた“現場とのズレ”──前任者の影に揺れた心
業務に関する情報も、私には回覧で回ってくるだけ。
現場は楽しそうにコミュニケーションを取っているのに、
私はその輪の外側にいた。
卑屈になるしかなかった。
前任の経理は経験も長く、車の運転ができないため、
部下の事務員に外回りをさせていた。
経営陣という立場もあり、権限もあった。
そして毎日のように自腹でお菓子を配り、
事務員を“かわいがる”存在だった。
私は、物で釣っているとは思いたくない。
けれど、顔色を伺われて人を利用するのも嫌だった。
自分がそうされてきたから。
媚びるような関係も、イエスマンを作ることもしたくなかった。
必要な場面もあるのかもしれないが、
私は必要ないと思った。
孤独をさらに自分で選んだのだ。 -

経理の視点で見えた異変【第2話】
経理としての仕事に慣れ、日々の業務を淡々とこなしていた頃。
ふとした瞬間に、職場の空気が少しずつ変わっていくのを感じ始めた。
その違和感は、最初は小さなものだった。
当時は私は積極的に業務をこなしていた。
だいぶ慣れてきていたころ、経営陣の異変に気づいた。
まず、会議というものが行われなくなったこと。
前任者の引き継ぎ期間中は、日時こそ決まっていないものの、
トップ同士の会議が突発的に開かれていたように思う。
ところが、私が担当してからは、それがピタリと止まってしまった。
次に、トップ同士が話し合わなくなったこと。
これも前任者がいた頃には当たり前のように行われていたが、
その姿をまったく見なくなった。
「いつ話しているんだろう?」
そう思うほど、すべてが謎に包まれていた。
もしかすると、私の知らないところで話し合っているのかもしれない――
そんなふうに考えるようになった。
この違和感は、のちに痛いほど理解することになる。 -

愛嬌”という名の圧力──女性だけが背負わされる役割の正体
最近、私は「女は愛嬌だ」という言葉に強い嫌悪感を抱くようになった。 昔は何気なく聞き流していたこの言葉が、今では女性に対する圧力や抑圧の象徴のように感じている。
結婚当初、私はまだ若く、親戚の集まりでもよく笑っていた。 そのたびに言われていたのが「女は愛嬌だ」という言葉。 当時は褒め言葉のように受け取っていたけれど、今振り返ると、これは女性に“笑顔でいろ”と暗示をかける言葉だったのではないかと思う。
「女は愛嬌だ」という言葉が女性を縛る理由
● いつでも笑っていなければならないという圧力
「女は愛嬌だ」という言葉には、 女性はいつでも笑顔で、愛想よくしていなければならない という空気が含まれている。
嫌なことがあっても、疲れていても、怒りを感じても、 “笑って受け流すのが女の役目”と言われているようで苦しくなる。
● 男性は不機嫌が許され、女性は許されない構造
私の周りの男性は、都合が悪くなると不機嫌な空気をまとい始める。 しかし女性が同じように不機嫌になると「愛嬌がない」と言われる。
この違いを見るたびに、 女性の方が軽視されやすい社会構造があると感じざるを得ない。
● 我慢を強いる言葉として機能してしまう
「女は愛嬌だ」という言葉は、 女性は我慢して当たり前 女性は愛想よくして当たり前 という価値観を押しつける力を持っている。
これはもう、精神的な暴力に近い。
女性は無理に笑わなくていい
私は強く思う。
- 嫌なことははっきり言っていい
- 無理に笑う必要はない
- 愛想を振りまかなくていい
女性が自分の感情を押し殺してまで“愛嬌”を求められる社会は、 もう変わっていくべきだ。
「女は愛嬌だ」という言葉に違和感を覚えるのは、 決してわがままでも、過敏でもない。 それは、長い間押しつけられてきた価値観に気づき、 自分を大切にしようとする自然な感覚だと思う。
これかわいい、ヨガ用にしようかな
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蓋をされる現実──家族経営の中で感じた息苦しさ
ことわざに「臭いものに蓋をする」という言葉がある。
最近の私の周りを見ていると、まさにこの言葉そのものだと感じる。
どうしてこうなるのだろう。
どうして自分のことのように考えようとしないのだろう。
どうして耳を傾けようとしないのだろう。
どうして、みんな他人事のように振る舞えるのだろう。
解決しなければならない問題は、まだ何ひとつ解決していない。
それなのに、誰もその現実を見ようとしない。
ただ、蓋をして、なかったことにして、やり過ごそうとしている。
現実逃避。
本当は、私だって逃げたい。
何もかも忘れてしまいたい。
でも、逃げられない現実だけが、静かにそこに残っている。 -

何を背負わされているのか──家族経営の中で揺れる役割と義務
そんな問いが、いつからか胸の奥で静かに渦を巻くようになった。
引き継いだ当初、私はただ必死だった。
与えられた仕事をこなすしかなかった。
説明は最低限。
「なぜそうなるのか」なんて誰も教えてくれない。
規則は存在しているようで、実際には風のように形を変え、
経営者の一声でいとも簡単に規則まで塗り替えられていく。
社長の言葉がすべてを決める世界。
昔ながらの価値観に縛られ、色眼鏡で判断し、
時に高圧的な声で社員を動かす。
そんな光景が、日常として当たり前のようにそこにあった。社長の機嫌と気まぐれな判断に、現場はいつも戸惑っていた。 もちろん、私自身もその渦に振り回されていた。
毎日精神を削られる思いだった。
けれど、時代はもう変わっている。
昔の常識は、今では通用しない。
それでも誰も変わろうとしない。
変化に背を向け、見て見ぬふりをする。
私は知っていた。
このままでは、また責任を押しつけられる未来が待っていることを。
だからこそ、今の時代に必要な義務や仕組みを、
理解を得られないままでも導入せざるを得なかった。
そのたびに、負担は私の肩に積み重なっていく。
理解しようとしない人たち。
知ろうともしない人たち。
協力を促しても、返ってくるのは沈黙だけ。
増えていく業務は放置され、
上の人たちは自分の興味のあることだけに没頭し、
下に目を向けることはない。
そして、ある日。
「好きにしていいよ」
その一言が落とされた。
――責任を、放棄されたのだ。
その瞬間、胸の奥で何かが静かに軋んだ。
役目でも、義務でも、仕事でもない。
ただ、私ひとりに押しつけられた“重さ”だけが残った。
