私は子どもを育てながら、親とはどうあるべきなのかをよく考えるようになった。
子どもが家を離れ、距離ができた今だからこそ、
「子どもに恥じない生き方をしたい」「余計な心配はかけたくない」
そんな思いが前より強くなった。
けれど、義両親とは自分の意見を言えない。
言ったところで、意見が違えば空気が重くなるだけで、
「そういう考えもあるよね」と受け止めてもらえたことは一度もない。
義両親と同じ価値観でなければ、会話は弾まない。
はっきり言えば、共感できないことのほうが多いし、
それでも“合わせること”を求められてくる。
「こうしてほしい」「して当たり前」「してもらって当たり前」。
人の気持ちをくみ取るより、自分たちが心地よいかどうかが最優先。
そんな空気が、いつの間にか当たり前になっていた。
誕生日プレゼントのやり取りも、もはや義務のようになっている。
父の日・母の日・それぞれの誕生日。
義務化された贈り物ほど、心が重くなるものはない。
私の子どもには、まだ誕生日を祝う年齢でもあるから渡しているけれど、
私は自分の誕生日に“見返り”を求めるつもりはない。
義務で渡されても、うれしさは半分になってしまうからだ。
何なら、今でも私の誕生日は子どもから忘れられている?
でも、それでいい。
健康で、幸せでいてくれるなら、それだけで十分だ。
カテゴリー: 親の顔色で育った人生
幼い頃から親の顔色を伺い続けてきた経験が、大人になった今の生き方にどんな影響を与えているのか。親子関係の中で感じた息苦しさ、失われていった自分らしさ、そしてそこからの回復をテーマに綴っています。同じように「親の顔色で生きてきた人」が、自分の気持ちを見つめ直せる場所を目指しています。
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親とはどうあるべきなのか
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親子関係 破綻寸前
長年付き合ってきたけれど、
いくら親であっても、
自分を傷つけてまで関わり続けることはできない人もいるんだと気づいた。
極端に言えば、
自分を大切にしすぎる人
自分を肯定しかしない人
常に言い訳を探す人
ぶつかり合いを避ける人
すべて自分中心で世界が回っている人
そういう相手に合わせ続けるのは、もう無理だと思った。
そっちがそうなら、こっちもそうする。
自分たちを守るためなら。
ただ、自分を守りたいからといって、
周りを傷つけていい理由にはならない。
だからこそ、たとえ親子関係であっても、
必要な境界線は引く。
自分を守るための距離は、容赦しなくていい。 -

主人は、親の顔色ばかり見て生きてきた
人は誰しも、少なからず親の顔色を伺って育つものだ。 けれど、主人の場合はその度合いが違っていた。 一緒に暮らし始めて、私はそれを痛いほど思い知らされることになる。
主人は、親に何か言われると途端に口をつぐんでしまう。 自分の気持ちを押し殺し、私の気持ちすら置き去りにして、 「そう言ってるんだから、しかたないだろう」 と、まるで決められた答えを読み上げるように返事をする。
しまいには、 「妻に相談してみる」 それしか言えない人間になっていた。 いや、そう“育てられてきた”のだろう。 自分の軸というものが、どこにも見当たらなかった。
結婚してからは別々に暮らしていたはずなのに、 住む場所も、家も、すべてが義父母の意向で決まっていった。 私は、家はいつかゆっくりと夢として叶えたいと思っていた。 だから「まだ早いから、アパートでもいい」と伝えた。
けれど義父は言った。 「アパートは近所関係や騒音が大変よ」 その一言で、話は勝手に進んでいった。 主人はただ黙って従うだけ。 まるで飼い犬のように。
今思えば、義両親は分かっていたのだろう。 主人が何も言わないことを。 そして、もし何か言うとしたら、それは“私が言わせている”のだと。
主人は、従っていればその場が収まると信じていた。 反論しない。 波風を立てない。 外から見れば「優しそうな旦那さんね」と言われるタイプだ。
けれど私は、ずっと疑問だった。 優しさとは何か。 守るとは何か。 その境界線が、主人の中ではどこか歪んでいた。
主人も自分のことを無意識に守っているタイプだ。
いい顔したい、いい息子でいたい。
その思いが、彼のすべての判断を縛っていた。
その違和感は、静かに、しかし確実に、私の中で膨らんでいった。
