投稿者: kokoronohane

  • 経理の視点で見えた異変【第2話】

    経理の視点で見えた異変【第2話】

    経理としての仕事に慣れ、日々の業務を淡々とこなしていた頃。
    ふとした瞬間に、職場の空気が少しずつ変わっていくのを感じ始めた。
    その違和感は、最初は小さなものだった。

    当時は私は積極的に業務をこなしていた。
    だいぶ慣れてきていたころ、経営陣の異変に気づいた。

    まず、会議というものが行われなくなったこと。
    前任者の引き継ぎ期間中は、日時こそ決まっていないものの、
    トップ同士の会議が突発的に開かれていたように思う。

    ところが、私が担当してからは、それがピタリと止まってしまった。

    次に、トップ同士が話し合わなくなったこと。
    これも前任者がいた頃には当たり前のように行われていたが、
    その姿をまったく見なくなった。

    「いつ話しているんだろう?」
    そう思うほど、すべてが謎に包まれていた。
    もしかすると、私の知らないところで話し合っているのかもしれない――
    そんなふうに考えるようになった。

    この違和感は、のちに痛いほど理解することになる。

  • 愛嬌”という名の圧力──女性だけが背負わされる役割の正体

    愛嬌”という名の圧力──女性だけが背負わされる役割の正体

    最近、私は「女は愛嬌だ」という言葉に強い嫌悪感を抱くようになった。 昔は何気なく聞き流していたこの言葉が、今では女性に対する圧力や抑圧の象徴のように感じている。

    結婚当初、私はまだ若く、親戚の集まりでもよく笑っていた。 そのたびに言われていたのが「女は愛嬌だ」という言葉。 当時は褒め言葉のように受け取っていたけれど、今振り返ると、これは女性に“笑顔でいろ”と暗示をかける言葉だったのではないかと思う。

    「女は愛嬌だ」という言葉が女性を縛る理由

    ● いつでも笑っていなければならないという圧力

    「女は愛嬌だ」という言葉には、 女性はいつでも笑顔で、愛想よくしていなければならない という空気が含まれている。

    嫌なことがあっても、疲れていても、怒りを感じても、 “笑って受け流すのが女の役目”と言われているようで苦しくなる。

    ● 男性は不機嫌が許され、女性は許されない構造

    私の周りの男性は、都合が悪くなると不機嫌な空気をまとい始める。 しかし女性が同じように不機嫌になると「愛嬌がない」と言われる。

    この違いを見るたびに、 女性の方が軽視されやすい社会構造があると感じざるを得ない。

    ● 我慢を強いる言葉として機能してしまう

    「女は愛嬌だ」という言葉は、 女性は我慢して当たり前 女性は愛想よくして当たり前 という価値観を押しつける力を持っている。

    これはもう、精神的な暴力に近い。

    女性は無理に笑わなくていい

    私は強く思う。

    • 嫌なことははっきり言っていい
    • 無理に笑う必要はない
    • 愛想を振りまかなくていい

    女性が自分の感情を押し殺してまで“愛嬌”を求められる社会は、 もう変わっていくべきだ。

    「女は愛嬌だ」という言葉に違和感を覚えるのは、 決してわがままでも、過敏でもない。 それは、長い間押しつけられてきた価値観に気づき、 自分を大切にしようとする自然な感覚だと思う。

    これかわいい、ヨガ用にしようかな


  • 蓋をされる現実──家族経営の中で感じた息苦しさ

    蓋をされる現実──家族経営の中で感じた息苦しさ

    ことわざに「臭いものに蓋をする」という言葉がある。
    最近の私の周りを見ていると、まさにこの言葉そのものだと感じる。

    どうしてこうなるのだろう。
    どうして自分のことのように考えようとしないのだろう。
    どうして耳を傾けようとしないのだろう。
    どうして、みんな他人事のように振る舞えるのだろう。

    解決しなければならない問題は、まだ何ひとつ解決していない。
    それなのに、誰もその現実を見ようとしない。
    ただ、蓋をして、なかったことにして、やり過ごそうとしている。

    現実逃避。
    本当は、私だって逃げたい。
    何もかも忘れてしまいたい。
    でも、逃げられない現実だけが、静かにそこに残っている。

  • 何を背負わされているのか──家族経営の中で揺れる役割と義務

    何を背負わされているのか──家族経営の中で揺れる役割と義務

    そんな問いが、いつからか胸の奥で静かに渦を巻くようになった。

    引き継いだ当初、私はただ必死だった。
    与えられた仕事をこなすしかなかった。
    説明は最低限。
    「なぜそうなるのか」なんて誰も教えてくれない。
    規則は存在しているようで、実際には風のように形を変え、
    経営者の一声でいとも簡単に規則まで塗り替えられていく。

    社長の言葉がすべてを決める世界。
    昔ながらの価値観に縛られ、色眼鏡で判断し、
    時に高圧的な声で社員を動かす。
    そんな光景が、日常として当たり前のようにそこにあった。

    社長の機嫌と気まぐれな判断に、現場はいつも戸惑っていた。
    もちろん、私自身もその渦に振り回されていた。

    毎日精神を削られる思いだった。

    けれど、時代はもう変わっている。
    昔の常識は、今では通用しない。
    それでも誰も変わろうとしない。
    変化に背を向け、見て見ぬふりをする。

    私は知っていた。
    このままでは、また責任を押しつけられる未来が待っていることを。
    だからこそ、今の時代に必要な義務や仕組みを、
    理解を得られないままでも導入せざるを得なかった。

    そのたびに、負担は私の肩に積み重なっていく。
    理解しようとしない人たち。
    知ろうともしない人たち。
    協力を促しても、返ってくるのは沈黙だけ。
    増えていく業務は放置され、
    上の人たちは自分の興味のあることだけに没頭し、
    下に目を向けることはない。

    そして、ある日。
    「好きにしていいよ」
    その一言が落とされた。

    ――責任を、放棄されたのだ。

    その瞬間、胸の奥で何かが静かに軋んだ。
    役目でも、義務でも、仕事でもない。
    ただ、私ひとりに押しつけられた“重さ”だけが残った。

  • 「調子にはのらない、波には乗る」

    「調子にはのらない、波には乗る」

    「調子にはのらない、波には乗る」どこからかこの言葉が入ってきた。
    いつからか、この言葉が自分の中に根を下ろした。
    立場的にも、そうせざるを得ない環境にいたからなのか、
    良くも悪くも、この生き方が体に染みついてしまった。

    けれど、この立ち振る舞いが“良い環境”を運んでくれるとは思っていない。
    むしろ、何ものにも惑わされず、誰の気持ちも汲まず、
    好き放題に生きている人のほうが、ずっと幸せそうに見える。

    そういう人を目にすると、
    胸の奥が無性にざわつく。
    腹が立つのは、きっと私にはできない生き方だからだ。

    そして気づく。
    まさしく、私の周りには少なからずこういう人たちがいるのだ。
    何ものにも縛られず、好きなように波に乗り、
    責任も痛みも背負わずに生きている人たちが。

    「調子にはのらない」
    そう言い聞かせながら、
    私は今日も波の上でバランスを取っている。

    今の私とはまったく違う人生を、 一度でいいから歩いてみたいと願う瞬間がある。

  • 前任者の影と、私への風当たり

    前任者の影と、私への風当たり

    前任者はどんな処理をしていたのだろう。
    疑問を口にすると、

    「前もこんなことあったよ」
    「前の通りにしとけ」

    そんなふうにあしらわれる。
    まるで「それ以上しゃべるな」「黙って仕事だけしていろ」と言われているようで、胸が痛んだ。

    経理という職務のせいか、私は避けられることも多かった。
    直接言えばいいことも、人づてだったり、デスクに伝言メモが置かれていたり。
    間接的な伝え方ばかりだった。

    「経理に口を出されたくない」「指摘されたくない」
    そんな空気が毎日のように漂っていた。
    私は孤独だった。

    気づけば私は、良くも悪くも“郷に従う”ようになっていた。
    何も言わず、何も発さず、ただ業務だけをこなす日々。

  • 親とはどうあるべきなのか

    親とはどうあるべきなのか

    私は子どもを育てながら、親とはどうあるべきなのかをよく考えるようになった。
    子どもが家を離れ、距離ができた今だからこそ、
    「子どもに恥じない生き方をしたい」「余計な心配はかけたくない」
    そんな思いが前より強くなった。

    けれど、義両親とは自分の意見を言えない。
    言ったところで、意見が違えば空気が重くなるだけで、
    「そういう考えもあるよね」と受け止めてもらえたことは一度もない。

    義両親と同じ価値観でなければ、会話は弾まない。
    はっきり言えば、共感できないことのほうが多いし、
    それでも“合わせること”を求められてくる。

    「こうしてほしい」「して当たり前」「してもらって当たり前」。
    人の気持ちをくみ取るより、自分たちが心地よいかどうかが最優先。
    そんな空気が、いつの間にか当たり前になっていた。

    誕生日プレゼントのやり取りも、もはや義務のようになっている。
    父の日・母の日・それぞれの誕生日。
    義務化された贈り物ほど、心が重くなるものはない。

    私の子どもには、まだ誕生日を祝う年齢でもあるから渡しているけれど、
    私は自分の誕生日に“見返り”を求めるつもりはない。
    義務で渡されても、うれしさは半分になってしまうからだ。

    何なら、今でも私の誕生日は子どもから忘れられている?
    でも、それでいい。
    健康で、幸せでいてくれるなら、それだけで十分だ。

  • 親子関係 破綻寸前

    親子関係 破綻寸前

    長年付き合ってきたけれど、
    いくら親であっても、
    自分を傷つけてまで関わり続けることはできない人もいるんだと気づいた。

    極端に言えば、

    自分を大切にしすぎる人

    自分を肯定しかしない人

    常に言い訳を探す人

    ぶつかり合いを避ける人

    すべて自分中心で世界が回っている人

    そういう相手に合わせ続けるのは、もう無理だと思った。

    そっちがそうなら、こっちもそうする。
    自分たちを守るためなら。

    ただ、自分を守りたいからといって、
    周りを傷つけていい理由にはならない。

    だからこそ、たとえ親子関係であっても、
    必要な境界線は引く。
    自分を守るための距離は、容赦しなくていい。

  • 主人は、親の顔色ばかり見て生きてきた

    主人は、親の顔色ばかり見て生きてきた

    人は誰しも、少なからず親の顔色を伺って育つものだ。 けれど、主人の場合はその度合いが違っていた。 一緒に暮らし始めて、私はそれを痛いほど思い知らされることになる。

    主人は、親に何か言われると途端に口をつぐんでしまう。 自分の気持ちを押し殺し、私の気持ちすら置き去りにして、 「そう言ってるんだから、しかたないだろう」 と、まるで決められた答えを読み上げるように返事をする。

    しまいには、 「妻に相談してみる」 それしか言えない人間になっていた。 いや、そう“育てられてきた”のだろう。 自分の軸というものが、どこにも見当たらなかった。

    結婚してからは別々に暮らしていたはずなのに、 住む場所も、家も、すべてが義父母の意向で決まっていった。 私は、家はいつかゆっくりと夢として叶えたいと思っていた。 だから「まだ早いから、アパートでもいい」と伝えた。

    けれど義父は言った。 「アパートは近所関係や騒音が大変よ」 その一言で、話は勝手に進んでいった。 主人はただ黙って従うだけ。 まるで飼い犬のように。

    今思えば、義両親は分かっていたのだろう。 主人が何も言わないことを。 そして、もし何か言うとしたら、それは“私が言わせている”のだと。

    主人は、従っていればその場が収まると信じていた。 反論しない。 波風を立てない。 外から見れば「優しそうな旦那さんね」と言われるタイプだ。

    けれど私は、ずっと疑問だった。 優しさとは何か。 守るとは何か。 その境界線が、主人の中ではどこか歪んでいた。

    主人も自分のことを無意識に守っているタイプだ。

    いい顔したい、いい息子でいたい。

    その思いが、彼のすべての判断を縛っていた。

    その違和感は、静かに、しかし確実に、私の中で膨らんでいった。

  • 弱い立場で自分を守る方法

    弱い立場で自分を守る方法

    仕事をしていく中で、私は心身ともに傷つくことが増えていった。
    周囲の人たちも、最終的には自分を守ることで精一杯なんだよね。
    私は、誰にも気づかれない存在のように感じていた。

    誰も助けてくれなかった。
    規則というものもあってないような環境で、規則は誰かを守るためではなく、自分を守るために整備もした。

    孤立して、相談できる相手もいなかった。
    だから、自分で動くしかなかった。

    時には突き放されることもあった。
    環境を整えなければ、責任を押しつけられるのは目に見えていた。
    無関心があの頃は何よりも怖かった。
    報告しても、しばらくすると忘れられてしまうことが多かった。
    私にだけいつも理不尽なことだらけだった。

    みんな結局は責任を避けようとしていた。
    都合の悪いことは、誰かのせいにしてしまう。
    興味がない・自分の担当じゃない・しばらくすると忘れる
    そんな空気の中で、私は徐々に心が少しずつ削られていった。

    そんな世界の中で、私はどうやって自分を守ればいいのかだけをひたすら考え続けていた

    この経験を通して、私は自分を守る方法を少しずつ学んでいった。

    自分のことは自分で守るしかないと。